日本におけるプラセンタ

江戸時代の日本において、加賀(現在の石川県)に伝わる三大秘薬の一つに「混元丹(こんげんたん)」に「紫河車(しかしゃ)」が使われていました。この紫河車とは不老長寿の薬として使われていたプラセンタであり、現代において胎盤を使ってサプリメントや医療用を製造する会社は限られています。その会社は以下のような会社です。

1956年に設立した「メルスモン製薬株式会社」について説明致します。江戸時代から時間が流れ、外国の医療が1930年に入ると伝わりました。それはソ連からでフィラートフ博士が研究した「組織療法」でした。20年後の1950年に医師たちが集まり「メルスモン製薬株式会社」の前身になる「組織療法研究所」が設立されました。その6年後には今の社名に変更し、厚生省からプラセンタの医薬品の認可を得たことによって、更年期障害、乳汁分泌不全、疲労、貧血症、術後回復、 虚弱児発育障害の治療薬として正式に医薬品として使用されてきました。それから、現代にいたるまで製造から販売まで行なっております。抽出方法は加水分解法を使っています。

「株式会社日本生物製剤(ラエンネック)」はメルスモンとは別のルートで「組織療法」を広めた人物が稗田 憲太郎 博士です。彼は第二次世界大戦中、満州医大の教授でしたが終戦をむかえ日本が敗戦した後も、日本には帰国せずにそのまま中国に残りました。その時に、ソ連の病理学者であるスプランスキー博士著の『神経病理学』と出会います。帰国後、稗田 憲太郎 博士は久留米大学薬理学教室の教授に任命されます。それから彼はプラセンタの研究に没頭します。彼が著した『胎盤漿療法』においては、胎盤漿は主に二つのことに効果があると記しています。それは、「中枢神経系統」「基礎代謝の向上」です。1959年「冷蔵胎盤漿液療法」が開発されました。この製法の手順は、まず哺乳類から採取したあとプラセンタを冷蔵し、その後エキスを抽出した製法です。これが、硬変治療薬「ラエンネック」(1970年 株式会社日本生物製剤)として認可を受けました。現在では適応範囲も広がり肝機能改善の医薬品としても使われています。抽出方法は分子分画法を使っています。
このように、日本の病院で使用されているのは「メルスモン」か「ラエンネック」のどちらかです。現代では美容目的で使われることが有名になってきていますが、その場合において保険は適応されません。この2社のプラセンタはどちらもヒト由来で「メルスモンは塩酸加水分解法が用いられ、乳汁分泌不全や更年期障害の治療薬」、「ラエンネックは分子分画法が用いられ、肝機能障害の治療薬」と使い分けられています。他にも、プラセンタの製剤で有名なのは他に2社あります。
1943年「ビタエックス薬品工業株式会社(ビタエックス)」は、京都大学 産婦人科の三林 隆吉 博士が国家から直接、経口の栄養剤を作るように命令が下りました。当時は太平洋戦争の末期だったため極度の食料不足に陥っていました。妊産婦の母乳分泌不足、新生児の死亡率増加の対策として何かないかと模索している際に、プラセンタの作用に着目して研究を始めました。その後、一般医薬品「ビタエックス」を開発し、1955年に丹羽 章 氏の手によってビタエックス薬品工業株式会社が設立されました。

1977年「スノーデン株式会社(プラセントップ)」は、九嶋 勝司 氏がスノーデン株式会社を創設しました。彼は秋田大学長を務めたこともあり、プラセンタエキスを発売したのは会社を設立した二年後の1979年 でした。1982年になると現在のプラセントップを発売されました。